日常のひとこと

「覚悟」と「決意」。

投稿日時:2022年8月23日 / 更新日時: 2023年2月18日

最近、「覚悟があるね」と言われることが不思議と増えました。

なぜだろう…? と考えてみると、おそらく、昨年1年が絶不調で、散々自分と向き合う1年だったからだと思います。

 

昨年はいろんな心配事があって、心配事で仕事が手につかなかったり、ご飯を食べていても何となく味を感じなかったり。

 

「自分は何のために生きているんだろう…」

「これから何をして生きていけば良いんだろう…」

「そもそも生まれて来なければ良かったのかな…」

など、久々に思いっきり悩んで、もがき苦しんだ1年でした。

 

いま思っても、毎日のように人生やこれからの生き方について、

徹底的に自問自答した1年だったと思います。

 

そして、自問自答の結果、

「自分と同じような苦労をする人を減らすことが、自分の使命。

その使命を全うするために、勇気を出して進もう。」

 

「どんなにつらくても、苦しくても、誰からも賛同されなくても、やろう。」

 

という『覚悟』を決めました。

 

それ以来、人前で喋ることが苦手でも、手を上げて発表したり質問したり、

あまり触れられたくない失敗談や過去の苦しい経験を話したり、

使命を全うするために必要と思うことに、日々チャレンジしています。

 

結果、少しずつ苦手なことが平気になって、賛同してくれる人が増え、

やりたいことを具体的に進められるようになりました。

 

最近、あるコミュニティの中で、

覚悟をシェアすることで、本当の覚悟にしましょう

という呼びかけの飲み会のご案内をいただきました。

 

1年前の自分なら、何の違和感もなく参加したかもしれません。

でも、いまの私には、この呼びかけはすごく違和感を感じるものでした。

 

『覚悟』とは、誰に何を言われても変わらないものなのではないか。

どんな苦難が訪れようと、人にどんな反応や反対をされてもやり遂げると、

自分の心の中で決めるもの…なのではないか。

 

『覚悟』とは、他人との間で強くするものではなく、自分と向き合い、

自己完結するものなのではないか、という気がしました。

 

「〇〇をしたい」「××をやります」という『決意』は、

人に聞いてもらうことで、口に出したからやろう、自分はやるんだ、

というモチベーションにつながるので、

『決意』をシェアすることは大事だと私も思います。

 

でも、『覚悟』については、覚悟を決めるのは結局自分で、

覚悟をシェアして強くしようと思っているうちは、それは、本当の覚悟ではないんじゃないか

と色々考えてしまいました。

 

そもそも、『覚悟』は人によって違い

この問いに正解は無いのかもしれないな…と思いつつ、

改めて、もう少し『覚悟』について、考えてみようと思います。

 

Aika.Y

Aika.Y

another try 代表。幼少期にがんで母を亡くし、以降、親戚の家などで過ごす。家から一歩も外に出られず引きこもったり、めずらしい膵臓病になり、「一生働けない」宣告をされた所から社会復帰。現在は広告代理店を経営しながら、"同じように困る人を1人でも減らすこと" を目ざして、日々苦闘中。

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